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わからないことを解りたい。
ということが、民藝という“思想”の本質なのだとしたら、それが今もなお、こうやって新鮮味を持って語られることにも合点がいく。
哲学者の鞍田さん、アーティストの松井さん、grafの服部さんのトークイベントにて。
学生企画なんだけど、その学生の誠実さがイベントをドライブする感じがすごく良かった。
一生わかりあえないという絶望こそが、相手のことを“解りたい”と思う原動力なのだよ。
なんて、北川悦吏子のドラマに出てくるセリフみたい。けど、それはそれで真理を突いていると思うのです。わからないということは、断絶でもあるけれど希望でもあるのです。
今日の発見は、結局、民藝とは新しい美しさの提案だった、ということ。「スノッブな遊び」とは服部さんの言葉でなかなか痛快な批評。“民藝”がなにか、なんてよく分からないのだけど、こうやって考え続けることこそが「いまの」民藝ということなのかもしれない。
価値観の転換という本質だと捉えてみると、これからも民藝は変容し続けるのだろうし、変わり続ける答えのない問いこそが民藝なのだと思います。
いやもはや、それは民藝でなくってもいいのかもしれなくて、その感覚は日々の仕事に忙殺されてる僕を揺り起こしてくれたのでした。
「最適化されてはいけない」とは、2018年のボクの抱負で。出自は元 WIREDマガジン編集長の若林恵さん。最適化された世界には驚きはなく、個人の嗜好はデータによって抑え込まれ、予測可能なディストピアがその先に待っている、というのが記憶に残ってるサマリー。では、これは、最適化といえるかどうか。
ZOZOブランドのTシャツ。
ようやく届いたZOZOスーツでサクッと採寸して、オーダー。時期が時期だけに 2週間ぐらいかかったけど手元に届きました。
ZOZOスーツのビジネスモデルはさておき(すでにいろんなところでその 戦略的優位性が語られているので)、容易にアクセスできる身近なテクノロジーを使って、今まで手間暇かけてやっていた“採寸”という作業をサクッとやってしまうのはやっぱりすごい。届いたTシャツは、イメージした通りのサイズ感だし、生地感もしっかりしていて、プレーンでアノニマスなだけど身体にフィットするプロダクトとして、とってもにコスパも高いしクオリティも高いと思います。
ではさて、これは最適化か、と。洋服の、最適化かというお話。
たしかに、ぼく自身に最適化されたサイズではあるし、ユニフォーム的に着るにはなんの文句もありはしない。毎日着る服を選ぶのがめんどくさくなって、毎日同じものを繰り返し着るぐらいの毎日を過ごすなら、これはこれでいい。ただ、洋服とは、ファッションとは、それだけではあるまい。
ZOZOスーツのもたらしたものは、「サイズ」の最適化であって洋服の最適化ではない。もしくは、採寸にかかるコストの強力なコストダウンであって、ファッションそのものが持つ価値を変えてしまうようなものじゃない。
というところまで考えて、これって結局若林さんの言説というか思考そのままじゃん、と思ったのでこれ以上は「最適化されてはいけない」、或いは 著書『さよなら未来』の「これからの音楽のために」を読んでいただけたら。
データを制する者が世界を制する世の中では、ZOZOの独り勝ち感は強いけど、それでも ファッションという世界がそれに屈したりはしないんだろうな、というのが今日思ったこと。それはつまり、デザインも同じという結論。