青木さんと同期の恩師から、又聞きレクチャーを聞かせてもらったので、妙に気になってきて実物をみに荻窪まで行ってきたのでした。
大宮前体育館。設計したのは青木淳建築計画事務所。
一見ごくごく普通の、ちょっとラフな外観をした建築物です。周辺は2層の住宅がほとんどで、ボリューム感もそこに合わせてあるので街にもよく馴染んでる。まさか、これが体育館だとは言われるまで誰も気付くまい。
地下2階までグッと体育館のボリュームが埋められています。建築というのは地下に掘れば掘るほどコストがかかる。青木さんは、せっかくつくるんだからそれはやりましょう、と役所を説得したらしい。
これだけボリュームを消すとにこだわった訳は、敷地をぐるっと回れば理解ができる。ぽかんと間=はらっぱをとって配置された不整形の建築は、環境によく馴染んでいました。
と、こんなことを書いてると至ってふつうの建築のようですが、なんだかこう、ふつうじゃないところが随所にちりばめられていて、なんだコレはと面食らいます。建築をやっている人ほど、そう感じるんじゃないかなぁ。使ってる人にとっては全然関係なく、それはそういうものとして受け入れられるような、そういう“ふつう”。
庇の見付け面の高さが、場所によって違う、とか。
換気塔が剥き出しで、なんとなく座れそうなベンチが周囲をぐるっと囲ってたり。
ホームセンターで売ってそうなコンクリート縁石は、ふつうじゃない形に並べられているし。
屋上。芝生を張り切ってしまうんではなく、所々歯抜けにしてクローバーのボリュームをちりばめたり。
古いRC造のように、梁には大袈裟なハンチがついていて、柱の面取りもすごく大きくとってある。クラシックな意匠。
埋められた体育館のマッスの仕上げは、コンクリート打ちっ放しに白いペンキを塗ってから拭いてあるし。
挙げ句の果てには、その壁自体がグネグネと揺らいだ形をしていたりする。
などなど、枚挙に暇がない。
なんだか色んなものが、ぽーんと放り投げるようにデザインされている。先輩はそれを、“手離れ感”という言葉で表現してました。そうそう、菊池敦己さんのサインもぽーんと放り投げるようにデザインされている。
これからの建築って、こういうことなのかもしれないなぁ。