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特別「今、見たい!」というわけでもなく。でもなんとなく、一生に一度は、という思いはずっと心のどこかに。
デコラティブであることに対する実践意識のなさは、当時とそれほど変わってない。だからやっぱり興味がある、というわけじゃないんだけど、今のボクの心のカサカサには、ガウディぐらいのインパクトが必要なのです。
そういえば昔、ガウディ建築の見方がグッと変わったきっかけがありました。
とある展覧会。その時の図録を、今また見返したりして。
「ガウディ かたちの探究」
サグラダファミリアが、カテナリーアーチを用いて設計されてるのは有名なお話。幾何学的なお話を全面に押し出してガウディを解くのは決して良いことじゃないとは思うけれど、でもやっぱり衝撃だったのはよく憶えてます。
装飾に覆い隠された裏には、構造的に合理的なカタチが潜んでる。物事の表面性だけにとらわれるな、というメッセージだと、勝手に受け止めて。
後5時間ぐらいでフライトの時間。まずはマドリッドへ。
数日すれば、バルセロナで実物と対面。どんな顔して、見れば良いのか。うーん、困った。
もちろん他にもチタンで覆われたアレとか、ミラーレスとかHe&dMとか世界遺産とか、いろいろ見てきたいと思います。無事帰って来れるか。
8年前にヨーロッパを縦断した時に買ったカバン。その後の旅も、ずっと一緒。
でも、もう少し容量が欲しいのと、そろそろ落ち着いて旅したい気分もあって、新しいバッグを買おうと思ってまして。そう、ゴロゴロ転がすやつ、買おうと。
いろんなところを無計画に転々とするスタイルのボクの旅には、機動力が必要。多少ムチャしても、ちゃんと付いてきてくれるタフさも必要。
いざとなったら背負える、そんなホイールバッグ。
という条件で探してまして。またしてもその背負い心地が決め手に。結局これまでと同じオスプレーでした。
オスプレー ソージョン25
バッグとしての基本構造がトランスポーターと全く変わってない、というのが面白いです。
“背負うモード”にすると背面がメッシュになって、通気性を確保。ショルダーベルトとしっかりしたウエストベルトで荷重も分散できる。うん、優秀。
デザインコンシャスな見た目とは裏腹に、ものすごく背負いやすいっていうのがオスプレーのイメージ。
海外でソフトバッグは切られる、なんて聞くけれど、これまでそんなことはなかったです。これからはどうか分からないけれどね。でもハードタイプのスーツケース、っていうのはまだ馴染めないし。
たくさんの荷物詰め込んで、また遠くに行けそうな気分。
いろいろ調べているうちに出会った、このカバン転がしながら、世界を一周してる方のブログ。最後の一押しは、実はこのブログがしてくれました。コレなら行けるぞ、と。まさにバズマーケティング(期せずして)。
そんな藤村さんの話を聞きたくて。
妄想農場「純正建築論・その先に見えるもの」 主催した人、(株)文化農場。
アーキテクト2.0から、話題の「超線形設計プロセス」の話まで。純正建築論、ではなかったです。
超線形設計プロセスって単純なる合意形成のプロセス。と、そのルール。というのがボクの理解。おそらくこれまでもやもやと、総体論として個別にやってきたことを、細かく砕いて論理的に整理すると超線形になる。
まずいくつかの与条件や思い込みから、いくつか試作してみる。そこで気付くことが出てくる。それを修正する。修正をルール化する。他の与条件を加える。ルールに即するかをチェックする。あとはこの、条件を加えてチェックする、という作業を繰り返していく。
今回の話の中で印象に残った「考えるな」という言葉。(言葉としてとてもキャッチーなので誤解を生んでそうだけど、本当に考えないということではない。)考えることを封じると、そこにはただ「判断する」ことだけが必要になる。考えることには“良し悪し”が関係するけれど、判断することには“善し悪し”が関係する。
特に、大勢で考えてしまった場合、良し悪しの考え方は多種多様で、結果的にだれも悪いとは言わないものが出来上がってしまう。だけど、善し悪しの場合はそこに明確な基準がある。だから、その基準によるチェックの積み重ねが個性として表面化して、フォームになる。
合意形成のプロセスにおいて、関わる人間が多いほどプロジェクトが無個性化することは多いけれど、それを合理的に打破できるんじゃないかと、今日それをぼんやり思い浮かべている。
藤村さんはそれを「アノニマス的な」と言った。それもまた、面白い考え方かもしれないなと。
設計・デザインというクリエイティブな仕事を、ロジカルに解いて(説いて!?)いくことに少なからず抵抗感はある。それはたぶん、みんなそう。でも、神秘的でアンタッチャブルな“閃き”や、いわゆる“センス”や、そういったものに長けていて、ちょっと浮世離れした職業としてのデザイナー・建築家っていうのは、なんだかもはや違う気がしている。
ボクの中にもこんな疑問があるからこそ、そういう世の中の空気感、これまでの言葉にならなかった閉塞感を、文字通り方法論を言語化することで打破しようとする藤村さんの姿勢に共感できるのかもしれない。
うん、ごちそうさまでした。