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作り出される作品の印象から、もっともっとシャープで鋭い方かと思っていたら、全然印象違いました。ナイーブで、ちょっと病的(悪い意味ではなく)。決してハキハキとしゃべるわけではないんだけど、でも言葉に詰まることもなく、淡々としたテンションで作品解説と考え方を説明する言葉が延々と繰り出される様は、結構衝撃でした。
抽象的でアーティスティックな印象が強い石上さんの建築だけど、“建築的思考”というのはやはりどこかにあって、グリッドの屋根フレームだとか、ストライプ状のトップライトだとか、要素がとりとめもなくなってしまう手前でかなりシステマチックに、意図的に要素が決定されている、らしい。プランニング然り。でもそのシステムを見せないようにしているために、抽象性が増しているんだ、と。
聞き手である貴志さんとのクロストークの中で、「いろいろな方向性・様々な価値観のある今の状況の中で、新しい方向性をつくる出すのではなく、新しいバランスを生み出すことが新しいものをつくることのような気がしている」という言葉を聞いて、合点がいったというか。
いろいろな方向性を持っているカオス的状況を、とあるフレームで切り取ったとしても何も見えてこない。無理矢理に新しい方向性をつくろうとするのはナンセンス。多様な方向性を許容したまま、その中を漂うような、そのバランスを整えたり崩したり、そういうことを石上さんは目指しているらしい。
まさに、脱力系。
なんだかよくわからないけど、本日のメモ。
テーマであったメディアについては、あまり興味を惹かれる言説はなかったのだけど、ここでいうメディアって、こないだのラウンドアバウトが言った“メディア”とは、また意味が違います。純粋なる表現媒体、とでも言いましょうか。難しいですね、その辺は。
スタンスとして、ラウンドアバウトは時代にうねりを作り出そうとしている点で、手法としては古典的ってことになるのかな。個人的にはこの対比、すごく面白かったです。てことで、ただいま反芻中。
日曜日の昼下がり。つかの間のプライベート。
京都三条、鴨川沿いのスフェラビル、「デザインの部屋」へ。
今回のゲストはTEAM ROUNDABOUT。
真面目な話を聞くのはすごく久しぶり。
みな別々にそれぞれ建築のシゴトをしながら、建築に関する議論の場を構築すべく、ウェブやフリーペーパーやライブトークショーという、“メディアづくり”を実践している方々。じつはボクと同世代。
詳しい説明はすっ飛ばしますが。
実はメンバーの1人である松島さんの存在は何となく知っていて、前身である“全力ゼミ”のこともちょとだけ知ってました。そんな“小集団活動”からTEAM ROUNDABOUTとして話題になるまでの移り変わりを覗ければなぁと思って。
今回はメディア論的な話が中心だったのだけど、「批判的工学主義」という立場を軸にに、こうして「議論の場を設計する」という行為を続けるのかという理由を垣間みることができました。すごく興味深い話ばっかりで、ここではそのすべてを書けないけれど、藤村さんが議論を起こすモチベーション/最終の到達点として「政治と教育」を挙げていたのがとても印象的で、シンパシーを感じるところ。
そこでとてもクリアになりました。建築の問題ではないことを、建築のコトバと思考回路で考えるとどうなるか、というのは、とても興味のあるところだし。まぁこんなことを言ってしまうと、オリーブとか桜とか植えてる安藤忠雄さんじゃん、ってことになりかねないんだけど、それをまず、極私的な範囲で突き詰めていくその態度は、ボクはアリだと思っています。
でも今回の一番はね、「愛と力」というコトバ。
「愛なき力」と「力なき愛」が、分断されてしまっている状況だと。
ナルホド今の世界の建築業界を、とってもキャッチーに言い当ててる。そしてそれはきっと、もう少し大きな、社会構造にまで当てはまるように思う。
愛とはまさに愛であり、力とは権力(財力にも似ている)である。それはアトリエと組織であり、自閉と執行であり、表層と深層であると。
これも、アトリエから組織設計まで、グラデーションがかかったメンバー構成の、しかも同世代から出てくる素朴な疑問をベースにして出てきたコトバだからこそ、感じられるリアルさなのだと思う。
メンバーがチームでの議論の場を“部活”に例え、藤村さんは「身近な疑問を議論の壇上の乗せるからこそ続けられる」と語る。そして何より、それを続けることで日常が俄然面白くなるっていうんだから。議論のスタートとしてはそれでものすごく面白いなぁ。
あとはこれが社会的なムーブメントとしてどこまで建築言語を知らない人たちに受け入れられるかという、次のステップに俄然興味が湧いてます。
だから、先月出た『1995年以降』っていう彼らが書いたインタビュー本が、誰に向けての本か、誰に呼んでもらいたいか、という質問を聞きそびれてしまったのをひどく後悔してます、はい。
って長いのか短いのか。
いや、1着のシャツの出来上がりを待つ期間としては十分すぎるぐらい長い期間だったなぁ。
モリカゲシャツでオーダーしていたシャツが出来上がったので取りにいってきたのです。
出来上がった「日曜日が楽しくなるシャツ」。
タグには「made to order」の文字。
ちょっと織柄のある白のきれいな生地に、チラッチラッと要所要所にグレーのシャンブレーの組み合わせ。袖をめくったとき、ボタンを開けたとき、風ではらんで揺らめいたとき、ちょっとずつグレーが覗く、そんな仕掛け。
きれいめなんだけど、ちょっとオーバーサイズ気味で、まさに日曜日用のシャツって感じ。
シャツをつくるっていう作業は、ほんとに楽しい。ゼロからのクリエーションではなく、あらかじめ決まった“型”のあるシャツだからこそ、ボクみたいなシロートでも服作りを楽しめる。モリカゲシャツは、そんな仕組みを、とってもカジュアルに提供してくれました。なによりも、お店のヒトのあったかさがボクにはものすごく印象的で。
ただまぁ11ヶ月というのはやっぱり長いですねぇ。