建築学会の学会誌は、その名も『建築雑誌』っていう名前。世に出ている、いわゆる建築を扱った雑誌も当然“建築雑誌”って呼ぶわけで、とってもややこしい。ああ、ややこし。
内容は多分にアカデミックなものですけど、意外に面白い時もあります。めちゃくちゃマニアックだったり。もちろんそうでない時もあり。学会員には勝手に送られてくるので、毎回一応サラリと目を通します。
年が変わって1月号から、そんな建築雑誌の編集委員が変わったのですね。新委員長は五十嵐太郎。
建築雑誌 まずは初回、特集のタイトルは「建築雑誌は必要か」
この人、いわゆる“建築家”ではありません。学生時代に同人雑誌の編集で有名になり、今でもどちらかというと“物書き”的なポジションにいる人だと思います。もちろん建築系ではあるけれど。
政治に対する政治評論家。美術に対する美術評論家。デザインに対する山本雅也。じゃなかった、デザインジャーナリスト。分野ごとにジャーナリズムのプロフェッショナルっているんです。で、その1人が五十嵐太郎。
今号のテーマに通底しているのは「『建築雑誌』が面白くない」ということで。デザインジャーナリストの藤崎圭一郎さんが、寄稿文の中でこう言ってます。
「編集者の能力が構造的に低下している」
つまり、有能な編集者の不在が専門誌を面白くなくしている原因ということで。なるほど、建築が上手くデザインできる人が、雑誌を上手くドライブできるわけではないってことです。編集のプロが不在していると。
プロフェッショナルの不在。
全体を俯瞰的にマネジメントできるゼネラリストが求められる時代。少なくともボクの周りでは、そういうことが強く求められます。でもここで、もう一度“専門性”や“プロフェッショナル”の意味を考えてみたい。高い専門性とはつまり人の個性でもあります。不用意にゼネラリストを目指すことは、個性を消すことでもある。
ぼくはどこへ向かうのか、ということも、ちょっと考えないと。