雨の中、兵庫県立美術館へ。「美術と建築の交流」っていうセミナーを聞きに。今日もまた遅刻。
ゲストは
青木淳と西沢大良。司会は米田明でした。
タイトルから予想される通り、青木さんは
青森県立美術館の話がメイン。西沢さんはちょっとテーマ的にしんどいかという感じ。よどみなく核心をサラッと話す青木さん、考えながら言葉を選ぶ西沢さん。青木さんやっぱりすごい。あまりにもサラッと話すから思わず聞き漏らすところですよ。メモをとるのも青木さんの言葉ばかり。
2つの世界がいかに“かみ合う”か。MassとVolume。シークエンスにおける伏線としてのカタチ。意味の行き来・意味の消失。非人間的なスケール・反人間的なスケール。論理の感覚化・感覚の論理化。などなど、おもしろい話はたくさんあったのだけど、一番興味を引かれたのは手書きイラストのウォークスルーアニメーション。
時折立ち止まって、右へ左へ行ったり来たりする視点は、空間のフレームを確かめるかのような動き。青森の美術館は、ボックスがかみ合ってできる複雑な構成になっているので、妙なところに壁が来たり、床から20センチほど隣りの空間が浮いていたりするのだけど、それって実は空間に「“縁”としてのフレームを新たに足している」っていうことで、もう少し突っ込むと、身体の動きに追従して変化する“見え”を構成する要素を追加しているってことになる。その出っぱりやスキマ自体にそれほど重要な意味はなく、むしろ“縁”を追加したことで見えの変化の情報量が多くなったことに意味がある。青木が「模型では空間を把握できなかったのでアニメーションをつくった」と言ったことからも、そうなんだなぁと。
建築全体の(大きな)フレームを、視界を様々に分割する(小さな)フレームの集合によって捉えようとしているんじゃないかと思うわけです。身体の動きと空間把握の関係を冗長する“縁”の存在をかなり意識したんじゃないかと思ってしまうのです。
「動く視点」だとか「シークエンス」だとか「建築の身体性とは動いている人間と関わりがある」だとか言われるとドキッとしてしまいます。
それにしても会場の音の反響がひどくて疲れました。そもそも講演会に使うような会場ではないんだろうけど、聞き取れないっていうのはなんだかなぁ。