地下鉄梅田駅で大きい缶チューハイと遭遇。でも感じたのは缶チューハイの大きさではなくて、むしろその大きい缶チューハイを内包できてしまう空間の大きさの方で。
御堂筋線のこのあたりの駅は、地下鉄なのに空間がとても広くて豊かだと思う。
“ビッグネス” という言葉が頭に浮かんだのです。それはオランダの建築家レム・コールハースが、フランスのユーラリールに「コングレスポ」という超巨大な会議展示場を設計したときにいった言葉であり概念であり。誤解を恐れず簡潔に言い切ってしまうと“ビッグネス”とは、あるレベル以上の”大きさ”というものは、もうそれだけで意味がある、大きいことには意味がある、ということです。
コールハースは「僕たちが見ているものは、僕たちが得ているものとは違う」とも言ってます。コングレスポという建築物のとてつもない巨大さは、その中に居る人たちが起こすアクションやアクティビティでは、到底把握することもできないほどの大きさだということです。
白い内装、半透明な素材、ガラスを多用し、ディティールを消し、視覚的な透明性を高めることで建築の物理的存在感を消してしまおうというのが、今日的な大きな流れといえます。でもそんなリテラルな透明性ではなく、建築をとてつもなく巨大化することで、その建築に関わる人たちが建物の全体像を把握することができないままに、結果として建築という存在が消えてしまうことがありうるということです。
なんだか話はややこしくなりましたが、ことに公共空間において、建築が消える瞬間というのがなにかヒントになるような気がしたのです。全てを抱え込むと言うよりも、全てを吸い込んでしまうようなビッグネス。
宙に浮かぶチューハイを見てそんなことを考えたりするのです。