今日は朝から夕方まで試験。座りっぱなしでお尻が痛くなりました。
終わってから
D&Departmentへ、
柴田文江さんの公開取材を聞きに。D&Departmentでのこうしたイベントは、終わった後のパーティーが一番の目的だったりもする。色んな人が集まる場所であり、ゲストととても近い距離で直接お話しできる場所なもので。
“女性らしい”という表現がいいのかどうか分からないけれど、柴田さんはとてもソフトで強くてチャーミングで気持ちの良い人だった。そうだな、アルデンテのスパゲッティみたいな。女優の
小林聡美さんのようなイメージ。
話す内容も話し方もすごく真っ直ぐで、聞いていてとても清々しい。色んな話があったけれど、デザイナーに必要なのは“見極め”であり“何が大事かを決めること”であり“バランス”だ、ということなのかな。「ど真ん中」って言葉をよく使っていたのが記憶に残る。
そのモノの“あるべき姿”というのもキーワード。日々の営みの中で、リアルな実像としての生活の中で、ものがどのように扱われるか、買われるか、使われるか、使い続けられるかどうか、ということになるんだろうか。そしてここでの与件の吸い上げ方、拾い方、与件に対するフィルターのかけ方が、商品なりデザイナーの個性ということになる。
“暫定チャンピオン”の話はとても興味深くて、考えさせられる内容だった。柴田さんは、自分が一番欲しい、これだったら他に買い換える必要がないっていうモノが“チャンピオン”だとしたら、お金がなくてとか、見つからなくてとかいう理由で仕方なく使っているものを“暫定チャンピオン”と呼んでいる。例えば車のポルシェに乗りたいと思っても、買えるだけの経済力がないので、買える範囲で欲しいと思えるヴィッツに乗ってるとする。そのヴィッツは暫定チャンピオンで、例えば宝くじなんかが当たってお金ができたら、本当に欲しいポルシェに買い換えられてしまう。
使っているということは確実に現時点で一位なんだけど、でもなんだか一位じゃないみたいな。それを“暫定”とした。チャンピオンは買い換えられることなくずっと使われ続けていくのだそうな。
柴田さんは常に自分の生み出すプロダクトが“チャンピオン”になるようにデザインするのだという。これはきっと柴田さんフリーランスのデザイナーで、一度あるモノをデザインしたら、他のメーカーなりで同じモノをデザインすることが少ないからだろう。インハウスのデザイナーを柴田さんは“博士みたい”と言ったが、それはインハウスの人たちが非常に専門性の高い知識が要求されるデザイナーだからだ。ずっと同じ種類のプロダクトをデザインし続ける、ある種職人的な人。では、このインハウスの人たちの“チャンピオン”とは一体どういうものなんだろうかと、ふと考えてしまう。
で、パーティーで直接柴田さんに聞こうと目論んでたんだけど、聞き方が悪かったのかちょっとカラブリ。かわりにとあるメーカーのインハウスデザイナー、柴田さんがまさに“博士”と呼んだ人とお話することができた。
ルイジ・コラーニについての新聞記事で、機能は流動的だがデザインは永続的である、みたいなニュアンスの言葉を見つけた。平たく言えば、「機能は古くなるけどデザインは古くならない」ということかな。それじゃあ同じ種類のモノを、商品を、デザインし続けることでも同じことが言えるかどうか。古くなるかどうか、は分からないけれど、過ぎゆくカタチというのは「デザイン」ではなくて「スタイリング」なのかもしれない。インナーとアウターとを分化し、モノに商品としての訴求力を持たせるためのスタイリング。中身と外見の乖離。デザインとは外見だけを操る言語だと、思ってしまってはいけない。
なんだか、またちょっとわかならくなってしまいました。
でも実は、一番心に残ったのは柴田さんが紹介した山中俊治さんの言葉。
「“このプロダクトはデザインを優先して機能をおろそかにしている”というのはつまり“デザインが悪い”ということです」だったりする。