HASH BLOG

ブルーグレイな日々とデザインのメモ帳

S'well

エコを意識しているのかそうじゃないのか、こちらの人たちは結構な確率でウォーターボトルを持ち歩いてます。建物にはいると色んな場所に水飲み場があって、そこで冷たいお水を補給してる人もいるし、カフェでホットウォーターだけ入れてもらってる人もいたりします。

僕はというと、けっこうどこにいてもこまめに水分補給したい人なので、ちょうどイイの探してところ。元建築家のクラスメイトがずっと使ってて、なかなかいいなぁと思ってたのと、しばらく見てても塗装はげたりへこんだりしてなかったので真似してみることに。

S’well Bottle Wood Collection / Teakwood 9oz.

車のカップホルダーに入るスリムなボディと、保冷・保温ができることが僕の考えた条件。いままで使ってた350mlのプラスチックボトルでも、ちょっと残るなぁという日があったので、容量は小さめの260mlに。
シルバーが一番素材感・かたまり感があっていいなぁと思ったんだけど、せっかくキレイな塗装が“ウリ”のメーカーなので、思い切りギャップのあるプリントを選んでみました。遠くから見てるとホントに木製みたい。

キャップの造りが、飲み口を覆い被さるように出来てます。だから飲み口が直接どこかに触れることはないし、無駄な要素が隠れてシンプルな外観をキープしてる。
ちょっと使ってみたところ、これだけ軽くてシンプルなのになかなか保冷能力もあってまぁ今のところ十分かな。

中身洗えないなぁというのは難点だけど、結局カップホルダーに入るサイズって柄付きのブラシがないと底まで洗えないのでそこは妥協点。なかなか気に入っております。
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いま

この夏は、アメリカ国内外を飛び回っておりまして、なにかと更新が滞り気味ですゴメンナサイ。
こちらでの生活も、予定のほぼ半分が終わりました。というわけで、一度ここらで渡米した目的を自分なりに整理しておこうかな、と思いまして。個人的備忘録なので取り留めのない長い乱文ですが、お時間持て余してる方だけお読み下さいませ。

ボクはいま、アメリカの内陸部にある中ぐらいの都市でビジネスのお勉強をしております。いわゆるMBAというヤツですね。縁もゆかりも予備知識もない町に来た理由は、大学がデザイン思考のカリキュラムを持っていたから。流行ってますね、デザイン思考。でもまぁデザイン思考がこんなにももて囃されるずっと前から深澤直人さんやトム&デヴィット・ケリーを追いかけてきた身としては、やはり一度身を投じてみたいという気持ちがありました。で、いまココ。

いわゆる“正当派デザイナー”になれなかったボクですが、いろいろな経験と出会いを経て、自分なりのデザイン観というものはなんとなくありまして。社会に出て9年が過ぎて、やっぱり何か頂いていたモヤモヤをブレークスルーするには既存のシステムの輪廻から脱する方法を考えないと、何も起こせないんではないかという気持ちになっていたのが数年前。そこで“ビジネス”というものを学ぶことと、デザインすることがなんとなくリンクし始めたワケです。画を描き、美しいモノをつくることだけがデザイナーの役割ではなく、むしろ“デザイナー”という言葉の枠に捕らわれすぎているんじゃないかなぁと。

こちらで勉強していてわかってきたことといえば、現代の社会は経済社会、あるいは資本主義社会の原理にフィットするように出来てるってこと。でもって、さらにわかってきたのは、こいった人が産み出したシステムなのにもはやアンコントローラブルな状況になっちゃってるんじゃないか、ということ。
日本という、世界的に見てもある種とっても特殊な状況に置かれている国で30余年暮らしてきて、それが本当にこれからも維持できる幸せな正解なのかということへのギモン。ならば、その弱点を探そうではないか、「敵を知り己を知れば百戦殆からず」的な発想で、ビジネスを学ぼうということになったわけです。(個人的にはこのなんでも“戦さ”に例えられてしまうのもヤなんだけど。)もちろん、それをデザインという視点から解き明かすという個人的展望は忘れずに。それがボクがいまここにいるモチベーションだったりします。

最近のボクは議論の中で、”challenge to capitalism”という言葉をときどき使います。文字通り、資本主義への挑戦。アメリカのビジネススクールでそんなことを言う人はまぁいないんだけど。
アントレプレーナーの講義をして下さっている先生との議論の中で、なぜ人はそんなにビジネスでお金を稼ぎたがるのか、稼がなくてはいけないのか、という質問をしたときのこと。“それは違う。お金は目的ではなく、成果を計る指標でしかないんだよ。偉大な人は、だれもお金のために働いてるわけじゃない。”と言われました。ドラッカーも言ってます「利益は目的ではないし、動機でもなく、企業が事業を継続・発展させていくための条件である」と。うん、まぁそれはそれで理解はできるのだけど、ではその指標変えることは出来ないのか、という疑問もやっぱり浮かんでくるわけです。(ドラッカーはお金ではなくProfitという言葉を使ってるんで、意外に本質を突いているのかもしれないけれど。)

だから今ボクは、簡潔に言ってしまうと、これからのことを考えるためにまず既存の枠組みを知り、考え方のバリエーションを増やす、ということをしてるのかもしれません。ボクの回りにいる人たちは、日本にいるときには考えられなかったほど多様性に富んでいるし、考え方も思想も様々。そんな中にあって、いわゆる「デザイナー」になれなかったボクが、これから何をどうデザインしていく人になれるのか、今年もう35歳になっちゃいますが、今はそういう想いを持っていて、結構ワクワクしています。
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着地点

どの世界でもそうですが、いわゆるビジョンというものが求められています。どこを着地点とするか、という遠い彼方の目標を見定めること。これを描くことは、優秀な人材に求められる必須の能力。
でもなかなかそれは上手くいかない。なぜならそれがものすごく遠くにあるから。はたまたそれが「正しい」ことなのか、確固たる自信がなければそれを人に表明することすらなんだか恥ずかしいことのように思えてくる。(これはやや日本人的な発想で、本来は間違えることが当たり前、それをどう軌道修正するかが本当の能力だったりするのだけれど。)

本来、未来は予測不可能なもの。でも、その不確かな未来との距離を縮める手立ての一つがデザインシンキング(も少し突っ込んで言うとラピッドプロトタイピング)のような気がしています。早め早めに向かうべきマイルストーンをカタチにして、ダメならばサッサとつくり変える。遠くにあるものと、現在地点との距離を縮めるための作業。アタマとカラダを同時に動かす作業である、というところもなかなかポイントが高い。
ゴールに向かって走り続けるための、やる気の自家発電のようなものでしょうか。
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デトロイト

車で3時間弱、近いような、遠いようなデトロイトに行ってきました。実は渡米前から気になっていたスタートアップがあって、今回はそこがガイドしてくれるスプレーアート(グラフィティとストリートアートを合わせたようなイメージでしょうか)を巡るツアーに参加してきたのでした。

2013年に財政破綻する以前から、街(特にダウンタウン)はアブナイと聞いていたのでビビってたんですが、実際行ってみて感じたことと言えば、気を抜いちゃ行けないなってことでした(笑)。テクノミュージックの産まれた街でもあるのでクラブなんぞのぞき見したかったのだけれど、その勇気も出ないほど。

街の成り立ちの歴史的背景は財政破綻以前からいろいろあるようなのでここでは割愛するけれど、街のスケールというか都市計画がもう人間を寄せ付けないスーパースケールなのが印象的。基本的に車がないと生活できないし、(冷たい雨の日曜日だったことを差し引いても)街中の歩道を歩いてる人も結局ほとんど見かけない。(人がいない、というわけではない)
道路はそこら中冠水してるし、インフラのメンテナンスが追いていないのが一目瞭然。橋桁の下なんかでは道路が池みたいになってて、立ち往生している車もちらほら。

そんなネガティブなイメージが先行しがちな街ではあるけれど、次のステップへ進めるべくいろんなことが渦巻いてるのも同時に感じることができました。今回巡ったスプレーアートもその1つ。

Splash Muralsの、消火器を使ったやつ。9階建てのビル一面の大きさ。

冒頭にガイド役のMattから投げかけられた質問は、「グラフィティとストリートアートの違いって何だと思う?」でした。1つの帰着点はというと、それがlegal(合法)であるか、illegal(非合法)であるか。もしくはある種のヴァンダリズムと言われるような文化破壊がグラフィティで、それがクールなものとして受け取られてコマーシャリズムに迎合したものがストリートアートだ、っていう見方もある。

デトロイトの街中は普通の街に比べて明らかに荒廃しているし、そこら中にグラフィティが溢れてる。グラフィティが少ないエリアは、「あぁここは人が“キチンと”生活してるところだな」っていう安心感すらあるほど。
でもデトロイトの面白かったところは、ブラック(非合法)なグラフィティを、用途のなくなった壁(もしくはただの壁)にオフィシャルに(ホワイトに)開放して、なにが合法で何が非合法なのかすら曖昧なグレーゾーンを拡大し続けているところにあると思う。行政がラクガキ対策としてやる壁の開放なんかじゃなく、街で生活してる人たちがそれを進めてる。
それは従来的な意味でいう街の“美化”ではないのだけれど、確かに文化的な、あるいは俗として受け入れようとしている。ストリートの文化なので、コマーシャリズムとの結託を忌み嫌うアーティストもいるらしいのだけど、そういった動きともまた違う感じがする。

MEGGS (houseofmeggs.com)

今回お世話になったDetroit Bus Companyは、財政破綻後に縮小してしまった公共交通をカバーするために立ち上げられたスタートアップ。いわゆる私立のバスカンパニー。古いスクールバスを活用し、スプレーアートをバス本体に施して(アーティストのタギングまであった!)、堂々と小中学生の通学や都市観光の一端を担っている。
彼らは実に自由で、楽しそう。これが一番重要なポイント。公共サービスってなんなのかね、とも考えさせられた今回のデトロイト。
なんだか上手くまとめられないのだけど、このごちゃごちゃとしたモノを早めに定着させておいた方がいいかな、通ってそのままエントリー。

※掲載した2つのスプレーアートは両方とも合法とのこと。
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セントラルパーク

そういえばココに書くのを忘れてましたが、少し前に、公共空間のゴミ箱のリサーチをしておりまして。その時にネットで写真だけ見てたんだけど、それだけでは気づかなかったことに、実物を見て気づいた。

セントラルパークのゴミ箱。デザイナーはAnthony Deen

パーク内に置かれているRobert MosesとKenneth Lynchがデザインしたアイコニックなベンチがモチーフ。 
下半分は完全に同形状だけど、上面の開口部の大きさがゴミの種別によって違う。でも、プロペラ状の各パーツは共通で2パターンのみ。内側の固定高さを変えることで、投入口の内径が変化して、トラッシュとリサイクルの区分けするようにできてる。解説はココが詳しいです。まぁアメリカのリサイクル事情はこのぐらいの大雑把な感じがほとんどです。

惜しいのは、上部のパーツがやっぱり完全には共通化できていないこと。うーん、惜しい。
色も変えているので、この仕組みがどの程度イニシャルコストに効いているのかはわからないけれど、部分的に壊れたりへこんだりしちゃったときのメンテナンスはしやす。一番コストのかかるであろう収集の人件費を軽減できるようなデザインにはなってないかなぁ、まぁ50%ぐらいはいわゆるスタイリングの範疇かと思った次第です。
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NYCxDESIGN

ふとネットで目にしたサイトを見てからこりゃすぐにでも行かねばならぬと、慌ててチケット予約してニューヨークに行ってきまして。

NYCxDESIGN。

東京デザイナーズウィークのように、起業スポンサーがたくさんつく見本市的なものかと思っていたらそうではなく。もちろんそういうイベントや企画展もあるんですが、もうすこしアカデミックな性格のレクチャーや卒業・修了展示がたくさんあって、派手でエッジなイベントというよりは至ってまじめな印象。

Pratt Instituteで行われていた”Policy, Meet Design"という公開レクチャーにも参加させてもらって、デザインというものが入り込んでいる領域の広さにただただ驚くばかりでした。
テーマからも分かるとおり、社会中で役割を果たすデザイン、というものが実例と共に。ディスカッションのサブテーマは"Human centered design and government"。もうガッツリと「Government」と言ってるあたりがすごい。

パネリストたちがプレゼンテーションした内容は、刑務所、学校のランチルーム、女性起業家支援、警察の地域進出と、一見デザインとは何の縁もないような領域。それが、リサーチ、アイデア展開、プロトタイピング、アウトプットというステップを踏むことによってしっかりとデザイン的な解決がされている。あぁ、これはもう認識の違いというヤツを見せつけられてしまった感。気合いを入れ直さなきゃいけないなぁと思い直したぐらい貴重な時間でした。

学んだことはたくさんあったのだけど、中でもIDEOのコアメンバーの方が言ったこの言葉が印象的で。
“Measure effectiveness, not just efficiency."

噛みしめれば噛みしめるほど、味の出てくる言葉です。
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Begin Again

Begin Again(邦題:はじまりのうた)を観まして。ものすごく良いテンポでストーリーが展開するので、キーラ・ナイトレイとマイク・ラファロの美女と野獣コンビのかわいさにぐいぐい引き込まれながら、あっという間の104分。

一番好きだったシーン。

スプリッターでiPhoneの音楽のシェアをしながら、ニューヨークの街中を踊るように歩き回るのが一番のお気に入りのシーン。音楽を共有するってとってもステキだなぁと思います。

普段はあまりヘッドフォンしないんだけど、たまに音楽を聴きながらまちを歩くと回りの景色が急になにか映像作品のように見えてくる瞬間がある。音を置き換えるだけでこれだけドラマチックに環境の捉え方が変わるのだから、それをシェアできたら最高に楽しいんだろうな、とか思いながら。

でもでも普段はBluetoothのヘッドフォンを使ってるので、こうやって音楽をシェアすることが出来ないのです。便利だけどね、Bluetooth。メランコリックに古いものを持ち上げる気持ちはあまりないけれど、スプリッター、いいね。イイと思います。たまにはコードアリのヘッドフォンも使ってみようかな。
JUGEMテーマ:映画
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カタ

今年の夏から秋にかけて、またいろいろとブラブラすることになりそうなので…というのを口実に、一眼レフカメラを新調することに。
ビデオの撮影、編集をする機会も増えてきたので、今まで愛用してきたニコン機はパス。そしてレンズ資産もお払い箱に。

これからのカメラ、を考えてみたときに、なにやらチャレンジをしているのはソニーかなと思い、あれこれ考えてみたものの、結局最新機種にすることに。

SONY α7-

こちらにクルマではニコンの中級APC-Cサイズ機に縦位置グリップ付けてたので、さすがに小さいなぁとは思いますが、最近はGRとNEX-5ばかり使ってたので、やっぱりそれでも大きくて重い。

初代と比べて、デザインはモダンに変わってしまいました。ユーザーの声を反映して初代で使いにくいと評判だったレリーズ回りのボタン配置やダイヤルの形状を変更してしまったので、見た目は結構”ふつう”の一眼レフに近づいてしまいました。ここでいう“ふつう”とは、今一般的に市場に出回ってるカメラ、という意味で、スーパーノーマル的な意味ではありません。

特徴的だった(疑似)ペンタ部分の鋭角な形態も、手ブレ補正の機構を飲み込むために、少しボディ側に食い込む形状になったので柔らかい印象に。ボディが大きくなることと、α7らしいカタチとのせめぎ合いが随所に見られてハラハラします。厚みが増した分の処理は、さりげなくて好きです。

個人的に、初代α7のデザインがすごく好きでした。あの小さなボディにフルサイズセンサーを押し込んできたっていうチャレンジもさることながら、ボクが人生で最初に使った一眼レフ、アサヒ・ペンタックスのSP1に似ていたから、っていうのが主な理由。個人的な記憶とのリンクが強いので、それが一般的に良いカタチであるかどうかはわかりませんが、長く使える“道具感”というのは多分にあったと思います。機能的な進化が著しいモノに関しては、なかなか長く愛せるモノは産まれにくい。菊竹清訓の「か・かた・かたち」でいうところの、「かた」がそのまま形態として立ち現れたかのようなデザインというのも、殊技術的進歩の早いプロダクトの世界では考えなきゃいけないことなのかな、と。
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adidas

去年購入したナイキのスニーカー。とても気に入ってたんだけど、こちらに来て調子に乗ってサッカーした時に破壊してしまいまして。以来、ことあるごとに似たようなの探してたんだけど、ようやく気になるものを見つけたのでした。

adidas Climachill Sonic Boost

中学生の時に、どうしてもジャガーの靴を履くがイヤで履いていたスタンスミス。それ以来アディダスのスニーカーって買ったことなかったので、20年ぶりぐらい(!)。

探してたのは靴紐のないスニーカー。
靴をフィットさせる機構って、やっぱり今でも靴紐が主流。リーボックのインスタポンプとか、プーマのディスクシステムとかあるけれど、今となっては懐古的未来感があるものね。靴紐の費用対効果を乗り越えるのはなかなか難しい。

Lunafly 306と違って、ベルトは全てゴムバンドで、ベルクロのような調整機構はありません。なので、これ以上ないぐらいにシンプル。シルエットをゴチャッとごまかすものが何もないので、デザインするのはより難しそうだけど、上手くまとまってます。

adidasのハイテクシューズ群は、Nikeほど技術をこねくり回した感じがなく、より構築的な造形をしてて、なんとなくドイツの風は感じたりしますね。
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ウインドウズ

こちらに来てから使ってきたHTCのスマホ。動作がもっさりしてるのもあり、どうも好きになれなくって、ついに機種変更することに。ノーコントラクトだとSIMカード差し替えるだけなので、この辺のフットワークが軽くてイイ。

Nokia Lumia 635

初のノキア端末、初のWindows Phone。
ノキアっぽいという印象だったのと、カバーは後から着せ替えできる機種なので、珍しく蛍光イエローを選んでみました。

iPhoneやGalaxyナントカとは違って、ローエンドモデルなのでたったの$40ドルちょっと。なので本体の質感なんかは比べてはいけないのだけど、この価格にしてはサクサクとても軽快に動いて、OS自体はAndroidよりもよく出来てる。

しばらく使ってみて、スマホの“使い心地”と“使い勝手”の差について考えさせられたりしました。
サクサクのWindows OSは非常に良い“使い心地”を提供してくれるのだけど、かたや“使い勝手”の部分はかなりアプリに依存してる。
アプリのラインナップはまだまだ発展途上。とりわけGoogle系の純正アプリが壊滅状態なので、普段の遠隔ミーティングやメッセージングで使ってるHangouts、チームでドキュメントをまとめるのに使うGoogle Docsが使えないのは非常にツライ。Google Mapsはかろうじてブラウザで動きますが、動作はとことん鈍いし音声ナビも使えません。

と、ここで普段の生活がものすごくGoogleに依存してるんだなぁということも分かってきたり。Googleはもうほぼ生活や仕事のインフラですね。Googleが傾いちゃったらボクの生活どうなっちゃうんだろ。そんなところにも、多様性が重要である、ということの一端を垣間見た気がします。
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